知床窯入魂の 『古式三島』

古式礼賓三島 壷 古式来賓三島 茶碗 古式彫三島 酒器


日本で古くから茶人に見出され、愛された「高麗物(李朝)」
その中で一般に「三島」又は「三島手」と呼ばれる器があります。
多くは王朝への献上用に作られたもので、
特に王朝に勢いのあった李朝前期には、多くの優品が焼かれました。
器体は薄く上品に作られ、そこにちりばめられた様々な模様は
素地に刻みつけた線に、それぞれ色の違う土を埋め込み
それを磨き上げるという、気が遠くなるような手作業によって施されています。
それはまさに王朝の権力の象徴であり、現代の人件費に換算すると
「器に金を張るより高価」な技法です。
しかし、栄枯盛衰は世の理。李朝も中期になると、
内乱や外国からの圧力など、様々な要因が重なり王朝は衰退し、
それにともなって工芸も底力を失っていきます。 同時に中国趣味の影響か
『磁器』が好まれるようになり、「三島」や、有名な「井戸茶碗」などの『陶器』は
著しく廃れてしまい、今日に至ります。(今日韓国でも李朝陶磁の復興が試みられていますが、
残念ながら李朝の面影はありません。)

知床窯は、当時の名品や発掘陶片、また数々の文献をもとに
試行錯誤のすえ「知床窯 古式三島」として再現しました。
古い三島 (主に500年以上前) の魅力は「品」と「味」の両方を兼ね備え、
なおかつ「品」に溺れず、「味」に媚びない
器としての、またそれを作った者の陶工としての「在り方」
によるところが大きいと考えます。

人の「在り方」はそのバックグラウンドである風土や自然と切り離して論じることはできず、
美しい風土なくして美しい工芸は在り得ません。
知床に暮らし、豊饒の海と向き合い、また野山に混じりて遊びつつ
その偉大な自然の摂理を生身で感じてわが身に写し、深く考察するとき、
生き物としての人間の正しい在りようが見えてきます。それは工芸の正しい在りようと
密接に関わっており、 そこに近代日本の本当に深刻な「工芸の危機」を打開するヒントがあります。
「味」に媚びて本来の存在意義を失った醜い器たち、
逆にうわべの機能や効率だけを考えた「軍用品」にも似たコンセプトで量産される
「アンドロイド」の器たち。 作る側が悪いのか買う側が悪いのか、いずれにしても
最大の原因は「種としての人間の感性の鈍化」です。
それは同時に人間を取り巻く環境(自然・社会とも)の恐ろしいほどの悪化を意味しています。
それは欺瞞に満ちた近代文明(私は映画マトリックスの人間飼育システムになぞらえて
「マトリックス的社会」と呼んでいます)の内部にいては見えにくい事柄ですが、
近代文明に取り残されたこの知床に暮らしていると、時々文明社会に出た時に
それは痛烈に(顔の皮膚がヒリヒリするくらい)実感できます。
「風土」と「自然」と「人間の在りよう」。このことを深く自身に言い聞かせ、
今日も作陶を続けています。